パンの道

知人が脱サラして、パン屋になるべく修行に出たと聞いたものだから、訪ねてみることにした。

その知人との出会いは雪山登山だったのだけど、彼は不運にも脚を骨折してしまいヘリコプターで救助される様子を見送ることになった。灰色の雲に覆われ雪もちらつく雪山で、30分足らずの道のりを4時間かけて進んでいた時は、良からぬことばかりが頭をよぎっていたが、今は焼きたてのパンを石窯から取り出している姿を安心して見ていられる。元気でなにより、元気でよかったとつくづく思った。

修行先のパン屋は、限られた種類のパンしか作らない。棄てないために作りすぎることをやめた。彼はパン作りの経験があったわけでも、お菓子作りが趣味だったわけでもない。パン作りにおいては全くの素人。けれど、そのパン屋に感銘を受け、色々なタイミングが重なって修行を始めることになった。

何歳になってもやりたいことや好きなことを、後悔しないために。とは言うけれど、これまでのキャリアを捨てて、新しい世界に飛び込むことは、そう簡単にできることではないように思えた。もしかしたら、長い道のりを考えれば、今、なのかもしれないし、そう簡単にできることではないと考えてしまうものさしが狂っているのかもしれない。

パン屋の修行を終えてしばらくは、農作物の現場を知るために農家へ行くのだそうだ。

知人の師は旅好きで、スペイン巡礼路では地域ごとに変わるパンの味を楽しんだという。私も巡礼路を歩いたことがあるが、疲労から体が全くパンを受け付けなくなってしまい、ほとんど口にしなかった。それはそれで興味深い出来事ではあったのだけど、歩いた道や距離は違うとはいえ、日ごとに景色は変わっていたのだから、パンの味も違ったのかもしれない。思いがけず、再訪の楽しみができてしまった。